こんにちは、希望です
今回のテーマですが「目をみて話す」です
先日Twitterでこのようなことをつぶやきました
「人の目を見て話す」
介護の世界では当たり前に思えるけど、なかなかできない人も多い— たなかのぞみ (@kibou_fukushi) October 18, 2021
たくさんのいいねありがとうございます
「目を見て話す」介護の仕事ではもちろん、日常生活においても大切だと言われています
しかし、普通なことでも、これって結構難しいことです
実際に私も以前までこれがとても苦手なことでした
なぜ目をみて話をするのができなかったのか
そのとき何を思っていたのか
変化のきっかけは何だったのかといったことを今回はお話できればと思います
それでは行きましょう!!
相手に対してなにか抵抗してしまっている??
目を見て話せない人は多くの場合これに該当するのではないでしょうか??
あなたはその人に関して何を感じていますか??
私の場合、自分が相手に対して正直になれず、抵抗している場合に人の目を見て話すことができないことが多かったです
どこかでごまかしたり、なんとか取り繕うとすればするほどそうなっていきます
そもそも他人全員に対してそうなりますか?
誰か他人を見てしっかり目をみて話せる人と、そうでない人がいると思います
中には
自分は誰であろうと目を見て話せない。
といった方もいるかも知れませんが
そういった方は「他人というものに対して抵抗している」のかもしれません
なぜそうなるのでしょうか??
もしくはなれなくなってしまったのでしょうか
原因をいくつか考えていきましょう
その人に恐怖心を植え付けられた
何かその人から、鋭い指摘をうけたり、何か怒られたりしてしまったり
そんな経験は誰でもあることだとは思います
しかし
- 「もうこんなこと起こってほしくない」
- 「またあんなこと言われるのではないか」
このようなことを創造してしまうとその人に対して「恐怖」が生まれていきます
そしてその恐怖に対して抵抗を感じてしまっていると視線を合わせるのが辛くなってきます
相手に対して自分はかなわないと思う
- なにか相手にマウントを取られてしまった
- これは自分ではかなわない
- 相手のほうが上なんだ
- 自分のことは相手にはお見通しだ
といった経験から相手に対してのイメージを作ってしまい
何をするにしてもそのイメージをが蘇って来ます
そうなってしまうとしっかり目をみて話すといったことがしづらくなっていきます
昔苦手だった人と似ている
世の中同じような特徴を持った人と言うのはたくさんいます
この場合その人がどんな人であろうと、その人に似ているといったイメージだけで、苦手意識を創ってしまうことがあります
「この人なんか違和感がある」
「この人なんか嫌だな」
そんな人いませんか??
たったそれだけでそんなことを思ってしまうなんて、ほんとに意識の恐ろしさを感じてしまいます(笑)
これは相手がわるい??
目をみてはなせなくなってしまう原因の例をあげてきましたが
これは私の経験から例を挙げましたが、おそらくこの限りではないでしょう
しかし、そうなってしまうには何かきっかけがあります
おそらく殆どはその相手の何か特徴になにかしら嫌な反応してしまっていることがあるでしょう
しかしこれらに共通していることは
この印象というのは自分の中で創り上げてしまっているということです
相手はこの場合関係ないのです
でも自分にそんなイメージにさせたのは相手じゃん
なんでも自分がわるいの??
と思われるかもしれません
しかし、例えば同じことを別の人も言われたとして、あなたと同じ感情を抱くでしょうか??
おそらく感じ方は人それぞれなのです
あなたが嫌なイメージになっても別の人はそうとも限らないのです
なのであなたがなんと言われようともどう受け取るか、どう感じるかはあくまで自分次第なのです
まとめ:相手の印象は自分が決めているのを認める
これに気がつけば気持ちが楽になります
私自身もこれに気がついてからかなり気持ちが楽になって人の目をみて話せるようになりました
なぜなら話しているときに意識が相手に向かうようになったからです
これまでは相手と話していても、自分のその人に対しての考えや創造にフォーカスしてしまって
相手のことを純粋に見れていませんでした
まずはその人に対しての印象は自分の創造であると認めてみてください
純粋に相手を見てみてください
「この人は何を考えているんだろう?」
「何を思っているのだろう」
「この人はこういう人だ」という自分の思考を抜きにして相手を見てみましょう
そうすることで、自然と相手の方に視線が行くはずです
ではまた!!
コメント